時々、とてつもなく寂しくなってしまうときがあります。誰とも予定が合わなくて何の目的も予定も無いお休みの日や、一人ぼっちの夜。ただただ寂しさだけが私の中にあふれて、止まらなくなるんです。そういう時は、本を読むようにしています。ひたすらに文字の世界に浸って、嬉しいことも悲しいことも物語の中だけにゆだねるんです。泣きたいだけ泣いて、笑いたいだけ笑って、そうしていると気がつくと寂しかったことなど忘れているんです。一冊読み終わってもまだ気持ちが癒えないときには、また別の本を、それでも満たされなければまた別の本を読みます。読み始めてから、この本じゃなかったなと思っても、とりあえずその本を読み終えてからまた別の本を読むようにしています。そうやって、私はずっと本に支えられています。たくさん本を読み終えると、誰かに読んだ本の事を話したくなるんですよね。そうしたら日記を書いたり、友達にメールを送ってみたりします。気持ちが沈んでいても何にもなりません。落ち込んでいるだけで何も出来ない日というのもありますが、ただ寝てすごすよりはずっと有意義です。何冊読んでも満たされないときは、本屋さんへ。新しい出会いを求めます。本は、いつだって私を癒してくれるものなのです。
胡蝶の夢を見た
胡蝶の夢というのをご存知でしょうか。荘子という人が話した逸話だそうですが、私はあの話、思想が大好きです。時々、私も今この生きている人生が夢なんじゃないかと思うことがあるんです。嬉しいことがあったときも、悲しいことがあったときも、夢なんじゃないかと思います。道端に咲く花が本当の私で、実は今ここに生きている私というのはその花の私が見ている夢なんじゃないかと。荘子のように蝶でもいい。犬でも猫でも、とにかく私は本当は別のもので、目の前にある世界は本当の私が見ている夢に過ぎないんじゃないか。そう思ってしまうんです。誰かに話せば笑われてしまいそうなので、誰にも話した事はないんですが、自分が確かにここに居るのに、ここには居ないように感じるときがあるんですよね。でも、その荘子の言葉は、こう締めくくられるんです。「私と蝶には確かに形としての隔たりがあるが、しかし、本質としてはかわりがない」つまり、どっちだっていいじゃんということかなと私は認識しています(笑)私がたとえ道端に咲く花だったとしても、犬でも猫でも蝶でも、今生きている人間だとしても、私が私であることは、私にしかわからないことなのかもしれません。その答えを見つけるための旅が、人生なのかな、なんて。ちょっと、かっこつけすぎでしょうか?
お休みのすごし方
お休みの日にお天気がいいととても気持ちがいいですよね。洗濯をして、掃除をして、それでもまだまだ朝と呼べる時間。そういうときには、日向ぼっこをしながら読書に耽ります。明るい窓際、風通しのいい縁側、その日の気分で好きな場所で読書をする。これって、かなり贅沢なお休みの過ごし方だと思うんですよね。ぽかぽかとした日差しにあたためられて、だんだん眠くなってしまいます。
うとうとしながらも読書を続けて、そのままちょっとお昼寝…なんて、素敵じゃないですか?最近そんなお休みを過ごせていないので夢に見るほどです(笑)一日とは行かなくても、せめて半日、数時間だけでも読書のこと以外を忘れてすごせる時間ができたらと思うんですが、ばたばたしているとあっという間に時間だけが過ぎていってしまっていけません。私の理想のお休みをすごすために、今はがんばりどきなのかもしれませんね。色んな事を一つ一つ片付けて、乗り越えて、いつか必ず思いっきり読書にのめりこむ一日を作ります。実は、その日がいつ来てもいいように、もう本はたっぷりと用意してあるんです。というより、忙しくて読む時間がなくて積んであるだけなんですが…。私を待っている物語がたくさんあるので、早くその世界に行かなくちゃ(笑)
空気を読むことは正しいのか?
空気を読むっていう言葉、ありますよね。私は、それが苦手です。何度かそれで、失敗もしてしまっています
。空気というか、相手の気持ちや場の様子を読むって、難しいですよね。一度本気で悩んで、空気の読み方みたいな啓発本を読んだりもしましたが、友達いわくあまり変わっていないそうです(笑)でも、最近になって、空気の読めない私でもいいんじゃないかなと思ったんです。もちろん、それを嫌がる人も居るので、そういう人にはあまり近づかないようにする、なるべくサシで会わない、メールなど、二人だけで会話するような時は用件の連絡だけにすることにしたんです。最低限そこで緊張は必要ですが、そうではない、今の私のままでも受け入れてくれて、失敗しても笑ってくれたり許してくれる人たちと一緒に居るときまで緊張して疲れてしまうようでは、人に会うことが嫌いになっちゃいそうだったので。空気を読むって言うようになってから、誰でも簡単に空気を読め!といいやすくなってしまいましたよね。KYとか言われると、けっこう傷つくのに。でも、あまり流行の言葉に流されないように必要最低限の人とかかわる上でのルールやマナーを気をつけていればいいのかなと思いました。
おっちょこちょいを直したいです
おっちょこちょいだよね~といわれることが多い私ですが、自分でもイヤになるくらいおっちょこちょいです。煮物を作れば火を消し忘れて焦がす、雑貨屋さんなんかでディスプレイが多くて通路が狭いお店だと必ず何かしらに引っかかって転ぶか、積んであるものを崩す…。ご飯を食べればこぼす、特に白い服のときは必ずと言っていいほど。友達に、「落ち着きなよ」といわれることも多数。自分でも落ち着いて行動すれば大丈夫!と言い聞かせているんですが、毎回何かしら失敗するので落ち込みます。
そんな私は、よく実家へ帰ります。ちょっと離れているので、連休や土日を利用して帰るんですが、実家には私の荷物はほとんど残していないので何もかも持っていかなければいけません。移動時間もそこそこあるので、移動中に読む本も…なんて言い出したらもう大荷物。たった二日の滞在でも、バッグが二つパンパンになってしまうくらいです。その上、パンパンになるほど荷物を詰め込んで持っていくのに、必ず何かしら忘れるんですよね…。めがねを忘れたり、携帯の充電器を忘れたり、本当にその時々で様々なんですが、大体家を出て戻れなくなった段階で気づいて落ち込みます。忘れ物をしないようにチェックシートも作っているんですけどね~?忘れ物が治る薬とか、啓発本とか無いでしょうか(笑)
読書サークルを立ち上げようかと思っています
今、友達と読書サークルを立ち上げようかと相談しています。というのも、私とその友達は会うたびに本の話をしたり、お勧めの本を貸しあったりしているんですが、さすがに二人では限界があるねという話になったんです。もともと私と友達の本の趣味は似ているので、貸そうと思って確認するとお互いにすでに読んでいるということが多いんですよね。私の周りには他にも何人か本好きの友達が居ますし、友達にもやっぱり本好きの仲間が多いようなので、せっかくだからみんなで集まっておすすめを紹介しあったり、語り合ったりしても面白いんじゃないかって言う話になったんです。別の友達にその話をしたところ、面白そうだからやるならぜひ誘って欲しいと言ってくれました。他にも何人か乗り気な人がいるので、みんなの集まりやすい場所や集まりやすい曜日や時間を聞いて実現に向けて動いているところです。住んでいるところがばらばらなので、候補場所をいくつかあげてアンケートをとったり、参加日もいくつか候補をあげて参加できる人が一番多い日にしようなんて盛り上がってるんですが、私が最近ばたばたしているのでなかなか日程が決まらずにいます。でも、実現するなら多少無理してでも時間を作っちゃう!今からとても楽しみです。
小さな美術館でリラックス
ものすごく落ち着いた気分になりたい時には、美術館に行くことが多いです。知名度のある美術館もいいですが、それほど知られていない小さな美術館もいいものです。
ある日思い立って、電車で5駅ほどの場所にある小さな美術館に行きたくなり、すぐに支度をして出かけました。駅から徒歩15分くらい歩きました。初めて行く美術館で、ちょっと緊張しながら入りました。2階建ての建物で、それほど大きくはない美術館です。しかし、中に入ると美術館特有の静けさがあり、心が落ち着いていきます。その日は特別な展示はなかったのですが、常設展として日本画の展示がありました。江戸時代くらいの日本画だったと思います。女の人の顔が多く描かれていましたね。街の様子の絵も多かったように思います。いつもは海外の絵を見ることが多かったので、新鮮でした。
帰りにはその展示の絵のポストカードを数枚購入。気に入った絵のカードを買うのがいつもの習慣になっているので、家には今まで出かけた絵画展などのポストカードがたくさんあります。時々見返すと、美術館の様子なども思い出されて自宅でもリラックスすることができるのです。
まだまだ行ったことのない美術館はたくさんあります。図書館に行くと美術展のチラシがたくさんあるので、便利です。今度はどこの美術館に行こうか、と考えるとワクワクしてきますね。
ラッキーな出会いに感謝!
昨日はすごくラッキーな日でした。なんとなく入った古本屋さんで、大好きな作家さんの本を見つけたんです。ずっと欲しかった本で、新品を買っても良かったんですけど、毎月本を買いすぎてカツカツの生活をしているのでもう何年も前に出版されたものはなるべく古本屋さんで買うようにしてるんです。もちろん作家さんの事を思えば書店で買うのが一番なのはわかっているんですけど…。でも、なかなかその本は古本屋さんにもなくて、見つけたら絶対に買う!って心に決めていた一冊だったんです。
正直なところ今月の本に使える予算はすでにオーバー。でも、今を逃したらまた出会えなくなっちゃうかもって思って手に取りました。値段を見ないままレジへ行ったんですが、なんとその本100円でした!この金額なら、今の私でも安心(笑)早速そのままカフェへ行って、一気に三分の一くらい読んでしまいました。
あまりの幸運にテンションが上がってしまって、友達数名にこのことをメールしましたが、私が本を手に入れてテンションが上がりすぎるのはいつものことなので大半の友達はスルーでした。でも、一人は良かったねと返事をくれて、もう一人は「私もそれ読んでないから、読み終わったら貸して!」と言ってくれてまたまたテンションが上がってしまいました♪こういうラッキーなことがあるから、古本屋通いはやめられないんですよね。
人に親切にするのは難しい
仕事に行く途中急いで歩いていると、私の背後から男の人の声が聞こえてきました。「お姉さん。お姉さん」と呼ぶ声が。周りに人は誰もいなくて、少なくともお姉さんと呼ばれているのは私らしい、と気が付いて声の方を見てみると、50~60代くらいの男性が仰向けで道路に横たわっていたのです。あまりの意外な姿に唖然としましたが、その男性は「ちょっと起こしてくれないかな?」と私に言うのです。
その時は酔っ払いかな?と不信に思ってしまいました。すぐには動けないでいると、その男性は「お姉さん。ちょっと起きるの手伝ってくれないかな?」と続けます。私の頭の中には、急いでいるのに、とか、変な人じゃないのかな?といった疑問がわき上がってきて、すぐには行動できませんでした。しかしその男性は酔っているふうでもなく、本当に動けないようです。そこで意を決して、腕をつかんで起こしてあげました。上体が上がっただけで、男性は「ありがとう。もう大丈夫。ありがとう」と何度もお礼を言ってくれました。体が不自由な男性のようでした。私は、少しでも躊躇した自分が恥ずかしくなってしまいました。もっと早く起こしてあげればよかった、と後になって思いましたが、それは後悔というもの。人に親切にするのは難しいことですね。
叔父に贈った見当はずれのプレゼント
私が中学生くらいの頃、叔父にプレゼントをしたことがありました。その当時、叔父は30歳になるかならないかくらいの年齢。13か14歳だった私は何をプレゼントしたらいいか分からず、本をプレゼントすることにしたのです。叔父は本が好きで、よく読書をしていたからです。その時私が選んだのは、太宰治の「人間失格」でした。なぜ、その本を選んだのか、今となっては覚えていません。その本をその当時の私が読んでいたとは思えず、大人である叔父に贈る本だからと、難しそうな本、ということで探したのだと思います。今思うと、情けなくて、恥ずかしい気持ちでいっぱいです。その本をもらった叔父が何と思ったかは知りません。その時の表情なども覚えてはいませんが、怒った様子や困った様子はなかったように思います。優しい叔父ですから。きっとその本もすでに読んでいたと思いますが、何も言わずに受け取ってくれました。
年代の違う人にプレゼントをするのは難しいですよね。できれば何か役立ってほしいと思うと本は当たり障りなくて良いかなと思うんですが、選ぶ本によっては私みたいに大やけどしてしまう事もあると思いますし…。これから私が年を重ねて年下の甥や姪に上げることになったら、何を上げたらいいのか迷ってしまうと思います。でも、若い相手なら図書券とかで好きなものを買ってもらった方がいいのかもしれないですね。さすがに年上の方や目上の方に金券は失礼なので渡せないですけど…。本にこだわらなくても、しおりやブックカバーなんかでもいいかもしれませんよね。また機会があればいろいろ考えてみようと思います。