作品タイトルの重要性

色んな作品を読んでいると、どうしてこのタイトルにしたんだろう?と思うようなものもあります。タイトルに惹かれて手に取ることも多いですから、おや?と思わせるタイトルにすることって結構重要なのかもしれません。
私が今までで一番感心したのは、タイトルとサブタイトルの意味が最後まで読まないと理解できないものだったときです。過去の事をさかのぼると言う形で進んでいく物語を読んでいる間はタイトルのことなんて忘れてしまって夢中になって読んでいるんですけど、最後まで読み終わったときに本を閉じ、そこに書かれている文字を見て「ああ、こういうことだったのか」と納得したんですよね。
とある作家さんのインタビューでは、作品のタイトルを決めるのが一番困るという内容も読んだことがありました。自分でこれがいいと思って編集部に持っていっても、担当さんに全く違うものに変えられてしまうなんていうこともあるそうです。自分では不満に思っていても、それによって売れ行きが変わるなんていうこともあるそうですから重要度が良くわかりますよね。遊び心にしか思えないような無意味に感じるものでも、読み終わってみたら謎解きの一部になっているなんていうミステリーやサスペンスものも多いですから、タイトルバレにならない程度にっていう匙加減も難しそうですよね。作家さんだけでなく担当編集者さんの苦労も計り知れません。
私たちは読むだけですから、気楽なものですよね(笑)

無意識に涙が流れてしまうんです

涙もろいという自覚はあったんですが、最近前にもましてひどくなったような気がします。
本を読んだりドラマや映画を見ればかなりの高確率で泣いてしまいます。家であればなんら問題は無いんですが、映画館はもちろんのこと移動中に読書を楽しんでいた電車の中やバスの中でも、カフェでも図書館でもお構いなしに涙がこぼれてしまうのです。外だからとこらえられると思って読み始めるのですが、自分でも気づかないうちに泣いてしまったりするので驚きます。本にぼとっと水滴が落ちて始めて気がつくような状態です。恥ずかしいので、最近は移動中に読書をするときはなるべくマスクをするようにしています。マスクをしてうつむいていれば、案外見えないようなので。でも、鼻をすすったらばれてしまいますけど。
カフェとかで読むときには、なるべく笑えるような作品を選ぶようにしているんですけど、人からすすめてもらった作品を読んでいると思わぬところで泣かされたりするので困ってしまうんですよね(笑)何か良い対策があるといいんですが、今のところは良い策は思い浮かんでいません。一度だけ、すすめてくれた人に外で読んだら泣いちゃって困ったよ!と笑いながら苦情を入れたら、「あの作品のどこで泣くの…?」と不思議がられてしまったこともありました。うーん、私の涙腺が壊れているんでしょうか…。

褒められると嬉しいのはいくつになっても

読書好きというのは、思わぬところで得をすることが多い趣味だなあと感じます。一番そう強く感じるのは、年配の方など年上の方と話をするとき。どんな些細なことでも、知っているというだけで褒めてもらえることが多いのです。
学生時代ボランティアに参加したことが何度かありました。介護施設や養護施設で利用者さんのお話し相手やお茶のみ相手になるというものだったんですが、私はお話が面白い人が多いので介護施設に行くのが好きでした。戦争時代の話をしてくれる方や、昔の話をしてくれる方の話を聞いていて、最初は相槌を打つだけでしたが、次第にもっとこの人の話を膨らませるためには聞く側にも知識が必要と思ったので、いろいろ古い歴史に基づいた小説などを読んで行ったのです。「本で読んだんですが、こうだったんですよね?」なんていう相槌をいれてあげると、「そうじゃない!こうだ!」とか、「そうそう、よく知っているね」なんて盛り上がるんです。
そうやって色んな話をしていくうちに、本で仕入れた知識に生き字引からの知識がコーティングされて雑学博士になれるんです(笑)その当時に知ったことって、今でも忘れないもので、さらに読書は続いているのでどんどん細かい知識が増えていくので未だに年上の方とお話しすると褒めてもらえるんですよね。褒められると嬉しくなる簡単な人間なので、また本の世界にのめりこんでしまうのです。

友達の猫が可愛すぎる!

友達の家に遊びに行くと、一番の楽しみはそのお家で飼われている猫ちゃんと遊べることです。もう7歳になる男の子なんですけど、甘えんぼで可愛いんです!私としては、巷で話題になって写真集が発売されるような猫ちゃんたちにひけをとらないくらいです。
彼…って言うとなんか変ですけど、友達はその子を人間のように扱うんです。足元に来て鳴けば、「どうしたの?」と声をかけて、抱っこして欲しそうなそぶりを見せれば抱き上げてあげるし、遊んで欲しそうなら遊ぶし、まるで子供を見守る母親のようです。話をするときも、「彼は」って言うので、私も倣って彼と呼んでますが(笑)
彼の一番可愛いところは、友達のことが大好きなところ。友達がキッチンへ行けば付いていくし、トイレやお風呂にも付いて来たがるんだそうです。友達が何か作業や調べものをしていると、近くに来てくるんと丸まって寝ています。私とテーブルに向かい合って話をしているときも、必ず隣に居て丸くなっています。キュンキュンしてしまったのは、友達が席を外したときに彼はまだまどろんでいて、友達がキッチンでお湯を沸かしている間に目が覚めたようなんです。そうしたら、まるで「ママどこ!?」と言っているかのように鳴いたんです。その途端、キッチンから「こっちだよー」という声が聞こえて、その途端走って声のしたほうへ向かっていきました。信頼関係が出来ているからこそ、甘えてくれるんだろうなあと思うと、すっごくほっこりしました。

友達からすすめられたもの

友達から、「おすすめのバンドが居るから、CDを渡したい」と連絡が来たのが先月のことでした。もともと私も音楽は好きなんですが、一つのものにはまるとそればかり聴くのでなかなか新規開拓ができないんですよね。その点友達はプロのアーティストさんの音楽も大好きでファンクラブに入ってライブやコンサートにも行くし、自分でも昔音楽をやっていた関係もあってかいまだにインディーズで活動しているバンドの友達が多く、ライブハウスに行くことも多いんだとか。
そういうところでいいバンドを見つけると、時々こうやって連絡をくれて、CDをくれたりするんです。友達とは好みが近いので、おすすめされた音楽はどれも私のお気に入りになって、時々余裕があるときには一緒にライブにも連れていってもらうんです。
今回紹介してもらったバンドも、インディーズでがんばっているバンドらしく、東京都内を拠点にしているらしいんですが、東北や関西方面にもライブに行って精力的にがんばっているみたいです。昨日やっと受け取ることができたので聴いてみたんですが、とっても素敵な歌を歌う人たちでした。歌詞がとっても良くて、胸に刺さる言葉がたくさん出てきて元気をもらえました。
本を読んでいても思うことなんですが、こうやって誰かの発した言葉に勇気付けられたり、元気付けられたり、些細なことかもしれないけど、そうやってちょっとずついろんなところによりかかりながら生きていくものなのかも、なんて思いました。友達にもさっそくお礼の連絡をしなくっちゃ!

小さな図書室

ちょっとした手続きをしに役所に出掛けた帰りのこと。その近くに公民館があって、中には小さな図書室があるんですね。子供の頃はしょっちゅう通っていたのですが、大人になるにつれて、もっと大きな図書館へと移り気してしまっていました。ちょうどヒマだったこともあって、○年ぶりにその図書室を訪れてみることにしました。
びっくりしたのが、その図書室の匂いが昔とほとんど変わっていなかったこと。入室した途端、思い出がぶわぁぁっと蘇ってきて、胸が熱くなりました。匂いというのは記憶に強く結びつくものなのだそうです。「さつきまつ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする」――なんて有名な和歌がありますが、さもありなむ、ともっともらしく頷いてみたくなる感じ。
さすがに蔵書類などは昔のままとはいかないようでしたが、奥の書棚に昔の愛読書が眠っているのを発見してホッコリ。他の利用者(ほとんど親子連れでした)から好奇の視線を時々もらいながら、かつての愛読書だった小説を立ち読みしてきました。「そうそう、この部分が好きだったのよね」なんて思い返してニヤニヤ。
何だか自分の原点に立ち返ったようで楽しかったです。いつまでもなくならないでほしいものですね。

調子が悪い日

ここ数日、小説に集中できない日が続きました。1日最低1冊は読む、という目標を掲げているのですが、その最低ラインはクリアできるものの、それ以上となると、つい他のことに気を取られてしまって、読むことができませんでした。気づけばパソコンやタブレットでかわいい猫動画巡りをしてしまったり、某無料百科事典サイトの関連ページを延々開き続けてしまったり……。
ここは1つ、何かシャキッと気分を変えるようなことをしなくてはならないような気がする……とは思っていたのですが、何だかそれを実行するのも面倒くさくて、日がな1日、ズルズル~っとした時間の使い方をしてしまっていました。
そういう時は流れに任せるのも手なのかなぁ、と思ってみたりもします。調子が悪いときは誰にだってあるもの。意識してどうかなるものではないのではないかな、と……自分を甘やかす言い訳だけはたくさん脳裏に蓄えつつ、毎日を過ごしていると、少しずつエンジンがかかってきました。どうも私はスロースターターのようで、1日1冊が1日1冊と半分、なんてペースだったのですが。
今日は何と3冊読めました。ちゃんと内容も頭に入っています。この調子でジワリジワリとペースを戻していきたいですね。

菓子店巡り

美味しいお菓子が食べたいな……。そんなことをつらつら考えている時に限って、書店にこの地方の有名な菓子店を特集しているガイド本が平積みにされていたりします。美味しそうな写真に惹かれて早速購入。地元民の私も知らないような新しい店の情報がチラシとして折り込まれていて、ホクホクでした。
休日、早速友人と連れ立って菓子店巡りをしてきました。最初に向かったのは新しくできたお店。外装も内装もとっても綺麗。ケーキやプリン、シュークリーム等の生菓子の他に、フィナンシェやパウンドケーキといった焼き菓子が壁際の棚に並べられていて、客が自由にカゴに入れたものを会計するシステム。どれもとっても美味しそうで、気になるものを厳選して買いました。
次に向かったのは、私が昔から通っている老舗のケーキ店。ここではロールケーキをチョイス。このロールケーキがものすごくおいしいんです!地方の内外から買いにくる人がいるくらい。
他の店も回って、できるだけ日持ちしそうなものを買い込んだら、友人とティーパーティしました。食事も要らないくらい甘いものを食べて、紅茶を楽しんで、小説や映画等の大好きな話題でおしゃべりして。楽しかったです。体重計のことは知らない。

縁日のシーンに思うこと

夏休みの主要イベントの1つ、縁日。昔から、縁日に行くとなるとものすごくテンションが上がっていました。ちょっと割高な屋台のメニューも、縁日効果でバンバン買ってしまうんですよね。そして妙においしく感じるという。花火大会も同時開催されていると、良い場所の口コミ情報を持ち寄ってあらかじめ席取りしておいたりとか。蚊対策の虫除けスプレーが日焼けした肌に沁みて痛かったりとか。まぶしい思い出がたくさんあります。
なぜこんな話をしているかというと、ちょうどいま読んでいる青春小説に縁日のシーンが挟まれていたから。浴衣姿の女の子とデート、基本中の基本ですよね。花火が上がったら女の子を褒めます。あるいはうっかり花火を褒めて純朴アピールとくらぁ。
自分が青春のただ中にあるときって、案外そのことに気が付かないですよね。青春小説を読んでいると、よく昔のことを思い出します。もう1度あの時期を味わってみたいなぁと思う傍らで、あんな恥ずかしい思いをするくらいなら2度と戻れなくてもいいと思う。そもそも戻れませんけども。不思議な時期です。
「青春は単なる人生の花盛りではなく、来るべき結実の秋への準備の季節である」――と言ったのは誰でしたか。少しは結実に向けて近づけているのかしら。今の自分は、あの頃の自分に誇れるかしら。そんなことをふと自問自答する今日この頃です。

井戸端会議のしあわせ

近所の人の家にお呼ばれしていくと、持ち寄ったお菓子をつまみながらの井戸端会議が始まります。話題は好きなアイドルの話だったり、昨日のテレビ番組のことだったり。とりとめのないことです。そのとりとめのない話題の中に、小説の話題が紛れ込むことがあります。テレビで紹介された小説や、ドラマ化した小説などが主ですね。メンバーの1人がそのときハマっている小説を持ってきてくれたりすると、話が盛り上がります。お互いに貸し借りし合って情報交換。とてもありがたいです。
実は私、井戸端会議が苦手でした。とある知人がいて、彼女は人の噂話やあら探しばっかりしていたのですね。脇で聞いていて、あまり居心地の良いものではありませんでした。そして、うかつに同意してしまったら大変な人でもありました。あることないこと言いふらされてしまうんですね。
でも、そういう人ばかりではないんですよね。当たり前のことですが、当時は彼女の印象があまりにも強すぎて……。今は節度ある付き合いができるご近所さんに恵まれて、とてもしあわせだなぁと思っています。何気ない話題で盛り上がれるってイイですよね。自然に笑顔がこぼれます。これが悪口の話題だったりすると、何だかイヤ~な感じの笑顔になると思うのです。毎日を気持ちよく過ごすためにも、気持ちのよい話題提供を心掛けたいものです。